あれから7年 ~ 岩手県大船渡を訪ねて ~
2018.02.22
2011年3月11日の午後3時ころ、私はそのとき勤務中で、職場の事務所でパソコンと向き合っていた。
みなさんも、この日この時間、何をしていたか、はっきり覚えているのではないだろうか。
それほど忘れられない、大きな災害だった東日本大震災。
あれから7年が経とうとしている。
私は先日、岩手県大船渡市を訪れた。
Rプラスハウスがこの大船渡に間もなく完成すると聞き、その視察のために。
しかし、私の視界に入ってくるものはほぼすべて、
7年前にこの地をおそった、津波の“あの”映像とのオーバーラップだった。
いま私が居るこの場所が、真っ黒い波の底だった。
海岸通りから車で5分ほど走ったから2kmほど内陸か。
「津波到達の地」と記された石碑があった。ここまで津波が来て、
波を引きながら、家、家財、船、そして命をのみこんでいったのだろう。
大船渡市での死亡者340人。
今なお79人が行方不明。(H29.9.30現在 大船渡市HP)
市民の1%以上が津波に命を奪われたという現実。
現在の大船渡市内には工事中の造成地が目立つ。そのほとんどが復興住宅、つまり、
災害で自宅を失った人たちのための住宅に供される用地。
私たちリキューの現場であれば、職人が談笑している姿もみられるのだが、
作業をしている人たちに笑顔は無く、ただただ普通の生活を取り戻すことだけを念じて作業をしているように感じられた。一日も早く・・・と。
復興の礎は住宅であろう。
被災をした人たち誰しもが平和でおだやかな暮らしができるようになってほしいと心から願った。
「犠牲者の鎮魂と慰霊に思いを込め今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する」
と石碑に刻まれている。
大船渡湾の海岸線には防潮壁が建設されていた。
湾口にある防波堤。津波で破壊されたものが造りかえられ、真新しいコンクリート色をしていた。
手前に見えるのはカキの養殖いかだ。
大船渡のRプラスハウス。災害に負けずに、末永く、住まう人を守ってほしい。